積載量、女房子供が食えるだけ
末弟Rが中学生のときに家出をしました。ぼくはそのときもう働いていたので実家にはいなかった。弟Sにきいた話です。末弟Rは置き手紙をしていました。「都会に出て働いて自分の力で生きる」とかなんとか。
中学校の先生たちが実家に集まります。みんな厳しい表情。真剣に心配している。
ひとりの先生が弟Sにききます。「Rくんは自転車で出かけたんですね?」
「なんか知らんけど、自転車がねえきのう」と弟S。
「なにか、自転車にわかりやすい特徴は?」先生はメモを片手に必死です。
「ああ、そういえばステッカーが貼ってあったで。チェーンカバーのところに」
「ステッカー! それはいい特徴になる。どんなステッカーですか」
「『全長18m、死ぬ気で追い越せ』って書いてるんよ」
「全長18m……」先生は真面目にメモをする。「あの、もう一度いいですか?」
ここで弟Sは我慢できずに笑い出したそうです。まあ笑うよな。ちなみに末弟Rはすぐに帰ってきました。「遠かったき、行くのやめた」そうです。
今日は未明に深夜作業をしたりして疲れました。いろいろあって家で仕事を続けたのですが、家のほうが静かで集中できるので内容の密度が濃くなります。なので余計疲れる。家で仕事するほうが息抜きをしないのは、仕事をしているのが自分しかいないからでしょうか。自分が息抜きをしている間に仕事をしている人がいないので、機能が止まっているように思えてなんとなく息抜きしにくいのです。会社にいったほうが効率は落ちるけど楽かもしれません。
夜になって仕事を切り上げてユルさんとお出かけ。ドライブをします。夜ご飯を多摩境のジョイフルで食べようという魂胆です。しかしついてみると建物がない。周辺のお店もことごとくなくなっている。どうやら多摩境周辺は再開発されるようです。帰ってきてジョイフルのサイトを見てみたら東京は青梅の2店舗しかありません。また出店してくれることを願います。
仕方ないので戻ってきて、家の近くの回転寿司屋さんにいきました。ここはそこそこの値段でおいしいので大満足なところなのです。コンビニによってコーラを買って帰ります。
二十代前半の頃のぼくのひらめきのほとんどはタバコを吸っている間に生まれたものです。タバコを吸っていると新しい発想が生まれる。幾何学の問題で補助線を引いてみたとたんにゴールまでの道筋がくっきりと浮かび上がるように、タバコを吸うとそのときに抱えていた問題の解決法が思いつくのです。タバコが考えていたに違いない。
タバコをやめようと思ったことは一度もありません(実はいまもない)。タバコを吸って得られるものは、健康と引き替えにするだけの価値がある。十分にメリットのほうが大きいと感じています。
しかし今のぼくはタバコを吸いません。二十六歳で吸わなくなってから一度も吸っていません。やめようと思ってやめたわけではないのです。なので禁煙するコツなんて知りません。禁煙していいことはひとつもありません。