親の幽霊に会った話
ぼくは物理や数学が好きだし人並み程度の科学に対する認識もあると思っているので、夏によくある心霊特集なんて大好きだけど、霊が実在するかと問われればいないと思うよといつも答える。
では幽霊を見たという人はみんな嘘つきなのかというとそれも違うと思っていて、人間はいろいろと勘違いもするしモノを見るというのは脳の中で自分が構成しているものを見ているわけでそこにはいろいろと入り込む余地もある。目で見たものしか信じないという陳腐なセリフがあるけれど、ぼくは自分の目で見たものはあまり信じていない。それよりは人間が何百年もかけて構築してきた学問の知識のほうがはるかに確かだと思っている。
一年半ほど前に親が死んだのだけど、葬式が終わるまで遺体のそばで親族は寝ずの番をしなければならなかった。そういう風習なんて全然知らなかったのだけどそういうものらしい。その間、ずっと線香を絶やしてはいけないそうなのだ。悪い霊が遺体に入り込んで踊り出すという話が京極夏彦の小説にあったような気がするけど、そういうのを防ぐためなのかもしれない。ぼくは弟と交代で線香の見守りをしながらずっと起きていたので、葬式がはじまるまでの間ずっと寝不足で体調も悪くて疲れていた。
そういう身体的精神的な状況からなのだろうと推察するのだけど、葬式の前日にこたつでみんなでご飯を食べていると、となりの部屋の空いた襖の隙間から、喪服を着た母親が「ああ、あんたたちこんなところにいたの」とでもいうような感じでひょいと顔を見せた。親は五十八歳で死んだけど、そのときの彼女は四十代くらいのようだった。はっきり見たというよりは、視界の片隅になんとなく見えたという感じだ。
ぼくは特に驚くわけでもなく、あれ、なんだろうなと思って隣の部屋を見に行ったけどそこには誰もいないしもちろん親もいなかった。親はぼくたちがご飯を食べていた部屋の奥で棺桶に入っているのだからそんなところにいるわけがない。
葬式の終わった後、遺骨と一緒に弟の家に帰ってそこに一泊した。酒を飲みながら仏壇の話を弟としていた気がする。ぼくは仏壇なんてどうでもいいのでモダンで安くて小さくて部屋の片隅にあってもそんなに邪魔にならないようなものでいいと思っていたのだけど、弟は百万円以上の立派なやつでないとダメだなんていっていて仏壇を置くのは弟の家だしまあ好きにしろという感じで12時過ぎにお開きになった。
寝不足とお酒を飲んだこともあってぼくはすぐに眠りに落ちたのだけど、夜中にずいぶんと寝苦しくなって目が覚めた。ずしんと身体が重たい感じがする。ぽかぽかと身体は妙に熱を持っていて顔だけが引きつるように寒い。なんとなく誰かが近くにいるような気配がする。もちろん、となりには娘とユルさんが寝ているのだけど彼女たちとは別の人だ。彼女たちのいるのとは反対側から気配を感じる。
それにしても息苦しい。お酒を飲み過ぎたせいかなと思っていると、唐突に誰かの手がそっとぼくのほっぺたを撫でていった。ひやりとした。それと同時に息苦しさが増してぼくはううっとうめき声をあげてしまった。その声を出したと同時に、母親が「ああ、あんまり触ったら苦しめて悪いわ」と言うような感じがして気配がすうっと消えていった。そして寝苦しさも急になくなってぼくはゆっくりと寝ることができた。
最初に書いたようにぼくは特に幽霊とかは存在しないと思っているので、こういう体験もそういうものではないと思っている。体調が悪かったりお酒を飲んでいたりそもそも親が死んでストレスのかかっている状態だったりしてそういうものが見せた何かなのだ。でもそれが親の幽霊だったと信じたがっているぼくもいて、なるほどこういうものかとなかなかおもしろい体験ができた。